第4回 算数のつまずきやすいところ

教師のコラム

生活に算数がなくなっていく

まず、小学生が算数でつまずくことの多いところをあげてみましょう。

 

多くの子が算数で最初にハードルとなるのは、足し算、引き算の、「繰り上がり」と「繰り下がり」です。(つまり、10本の指で計算できなくなったとき。)
これは、お金で言えば、「1円玉が10枚になったら10円玉1枚になる」、「10円玉が10枚になったら100円玉1枚になる」というイメージができるかどうか、ですね。
逆の、「1円玉が足りなくなったら、10円玉1枚を1円玉10枚にくずす」、「10円玉が足りなくなったら、100円玉1枚を10円玉10枚にくずす」というイメージができるかどうか、が、次の分かれ目になります。

 

そしてこのあとつまずくのが九九です。
九九が得意か不得意かは、頭がいいとか悪いとかではなく、「ニニンガシ、ニサンガロク、・・・」とどれだけ声に出して練習したか、ということです。(ほどんどの小学校で使われているカードの練習でOKです。)
「何とか思い出して言える」というレベルではなく、「考えなくても口をついてでる」というレベルまで練習する必要があります。

 

割り算が苦手、という子の場合、筆算で、答えにちょうどいい数字をなかなか立てられず、何度もやりなおさなくてはならなくて、嫌になってしまう、ということが多いです。
これは、ほとんどの場合、九九があやふやなのが原因です。
くわしく言いますと、6×7=42はできても、6×□=42となったとき、すぐに、□に7を思い浮かべることができるか、ということです。
九九を何度も声に出して練習した子だと、6×□=42という式を見たとき、頭の中で、□のところに「シチ」という音が横切るのです。
算数でも、脳の言語回路の役割は大きいのです。

 

そして、高学年になってくるとつまずくのが、小数・分数、そして、比例、割合、単位量当たりの大きさ、といった考え方です。
「1本50円のエンピツを6本買ったらいくらか。」とか「420円で、1本50円のエンピツは何本買えるか」という、考え方です。
こうした比例、割合の考えがスラスラできる子は、中学でも、高校でも、大学受験でも、あまりつまずかずに考えられます。(きっと、将来の仕事でも。)
それほど、世の中の数や量の基本です。

 

昔はこうした数や量の把握は、日常生活の中でできていました。お小遣いをどう配分してお菓子を買うべきか、とか、工作や裁縫で、どう寸法を取って材料を切るか、とか。だから、ちょっと説明すれば、自分の経験と結びつけて理解できたのです。
ところが昨今は便利になって、何かと自動的に計算されるせいか、子どもたちはこうした感覚がにぶくなっています。「100円玉1枚を10円玉10枚にくずす」ということすら頭の中でイメージできません。
それどころか、「そんな勉強、生活に必要ない」と考えて、もう頭が受け付けません。

 

長々とつまずくポイントをあげましたが、ご注意いただきたいのは、こうしたつまずきポイント、放っておけばそのうち克服する、というものではない、ということです。
お父さん、お母さんの子供の頃とは違い、コンビニでカードや携帯でピッ!という時代では、努めて練習しないと習得できないのです。